社員「私の一言」

光岡 徹
本部総務部
■趣味
山歩き
ライフワークは「現代史と日本人の特性の研究」

藝州男児

 「肥後もっこす」(熊本)や「土佐のいごっそう」(高知)など、県人の気質・特性を表現する言葉があります。「江戸っ子」というのが代表的ですね。東京(下町)で生まれ育った者。厳密には三世代以上その土地に住んでいる人の事のようです。
「粋でいなせな心意気」といった東京文化は一代では理解できないのがその理由のようです。

 さて我が街広島は気候温暖の地。哲学者が育たないのは何をやっても暮らしていける恵まれた自然環境の成せる技でしょうか。
 広島はかつて「安芸の国」と言われ、「藝州藩」または「安芸藩」と呼ばれていました。その流れか私は地方都市特有の保守的で排他的な一面が嫌でたまらず、十代後半から東京で約10年間生活しました。「花のお江戸」での生活は私の社会人として基礎になった時期で、想像以上に充実したものでした。時はまさにバブル。当時の勤務先の銀座周辺にも「ワンレン」「ボディコン」「JJガール」が遊弋していました。
 が、太田川の産湯を使ったDNAゆえかUターン転職をしました。帰広したのは1989年12月、くしくも日経平均株価が最高だった月です。
 その後、世に言う「失われた10年」を働き盛りの30代に経験し、気づいてみれば40代の半ば!後ろを振り返るより毎日もがいていたのが本音です。

 「広島」が「廣島」だった頃壮年時代を過ごした明治生まれの祖父。戦前に青年期を送り「ヒロシマ」(原爆)を体験した父親。高度成長期生まれの私。そして昭和の終わりから平成の始まりに生まれた私の息子たちは四世代目の広島の住人であり、彼らの世代が世の中に飛び出すのはあと4〜8年内外の事でしょうか。

 この4月には長男の同級生が入社してきます。
 時の流れとともに「広島」に育まれてきた家族や会社の「今」を感じ「我が郷土」で生まれた「藝州男児」として誇りと自負を持ち、その土地に根を張る事が「美しい国」への第一歩のように考える今日この頃です。

 私と同年生まれで先月死去された池田晶子氏(文筆家)が「哲学とは人が生きているとはどういうことかを自分自身で考えることである」という意味の言葉を残されていました。骨太で自分の脳みそで考えることのできる「藝州男児」の出現を楽しみにしています。